パリ2024パラリンピック柔道金メダルの瀬戸勇次郎選手と銀メダルの半谷静香選手へインタビュー
武技である柔術をベースに講道館の創始者・加納治五郎師範が生み出した柔道。相手を痛めつける柔術に対し、いかに相手を理論的に制するかに主眼を置き、「道」として確立されたのが柔道で、いまでは世界で愛されるスポーツとなっています。1964年の東京オリンピックで正式競技として採用され、オリンピック種目として定着。68の投げ技と32の固技、合計100の技がある中で、各選手は各々の得意技を磨いて大会に臨みます。
パラリンピック柔道は視覚障がい者の競技として行われ、両者が互いに組んでから主審による「はじめ」のコールから試合は開始。常に組んだ状態で戦うため、相当量の運動能力が求められるといわれています。体重による男女それぞれ4区分と、視覚障がいの程度によるJ1(全盲)とJ2(弱視)の2つに区分されます。
茨城を代表するふたりのパラ柔道選手
普段はどういった活動をしていますか?
瀬戸選手
自分は、国立大学ではトップクラスの強豪・筑波大学を拠点に練習をしています。普段は健常者の選手とともに練習を行うこともあり、組み手争いをすることもあります。もちろん試合は組んだ状態ではじまるので組み手争いはないのですが、練習のためにそういったことにも取り組んでいます。自分も帰国後から出られるタイミングで稽古には出ているのですが、現在は修士論文のために、ちょっと練習は控えめになっています。
半谷選手
私は、ひたちなか市にある舞鶴柔道クラブを拠点に活動しています。大洗の海岸線を走ったり、練習後に干し芋を食べてエネルギーチャージをしていますね。今年の9月20日に右膝の手術をしているのですが、ひたちなかで練習を再開しています。シーズン中は週3回のペースで舞鶴柔道クラブに通っていましたが、これから柔道と並行してチャレンジしているクロスカントリースキーのシーズンがはじまるので、茨城に来るのは週2回程度になると思います。
おふたりの柔道との出会いを教えてください
半谷選手
中学1年生のときに、兄が柔道をしていることをきっかけに柔道部に入部しました。兄ができるなら自分もできるだろうとはじめたのがきっかけです。中学・高校は健常者の仲間と一緒に練習していましたが、筑波技術大学への進学をきっかけに視覚障がい者柔道へと転向することを決めました。一般柔道をしていたころは、目が良くなかったので突き指をしたり、振り回されたりしましたね。辛いことも多かったですが、「辞める」って言えないだけで続けてきました(笑)。でも、振り返ってみると体力がついてきて、それにともなって自信がついてきたのは嬉しかったですね。最後の頃になると山道を走る練習で他の子よりもいいタイムで帰ってこられたときは達成感がありました。
瀬戸選手
自分は4歳のときにはじめました。生まれつき視力が0.1ぐらい。それでも中学、高校と進学しても健常者の人たちと普通に練習をしていましたね。視覚障がい者柔道をはじめたのは17歳のときですね。小さい頃は本当に自分が見えないということもわからないでやっていました。嫌いなのはきつい練習だけで、柔道はやっぱり好きでした。
おふたりの柔道のスタイルは?
半谷選手
いままでは強くなることばかりを考えてきたんですが、もっと柔道が上手になりたいということに、最近気が付きました。無理矢理、強引にでも入っていって投げてしまう海外勢がするような柔道が「強い柔道」だとすれば、私が目指すのは講道館柔道の考える、理にかなった柔道をしたいです。東京パラリンピックが終わって、やっと人を投げることがかっこいいし気持ちいいって思えました。力の通り道を見つけて、その隙間を見つけて投げる感覚は、模索と探求といった感覚に近くて楽しいですね。とにかく自分に意識を向け、鏡を見なくても自分の均等や真ん中を感じることを大切にしています。また、右膝前十字靭帯を切ってしまったことをきっかけに体の使い方も変化させてきました。
瀬戸選手
自分は階級が変わったことで、7kg筋肉で増量しなくてはいけなかったので、ウェイトトレーニングを行って基礎体力を増強しました。東京のNTC(ナショナルトレーニングセンター)やつくばのジムに通ってトレーニングをしていました。使う筋肉は柔道をやる中でつければ良いと思っていたんですが、そうではないことに気が付きましたね。
パラ柔道の難しさとはどういうところでしょうか?
瀬戸選手
最初に組んでスタートするのがパラ柔道なんです。互いに同じ持ち手だと意外と楽なんですが、喧嘩四つになると難しいですね。どっちが先に組むかというのは問題になることもあるんです。その時は白が最初に組んで、次は青が組むというようなことになることもあります。本来は後から組む方が有利と言われているんですが、袖を先に持って絞ってくる選手もいるんですね。本当は力を入れちゃいけないんですけどね。
半谷選手
わたしは見えていないので先に組む方が好きですね。全く見えてないので先に組んでおかないと…。最近はすぐに「はじめ」と審判が声をかけてしまうんです。そうすると、組んでないのにはじまってしまうこともあるんです。
今後の活動について教えてください
瀬戸選手
現在、自分は修士論文で「KUNDE柔道」という新しい柔道の枠組みについて書いています。健常者であっても視覚障がい者であっても、組んで柔道をはじめてみようというものです。組手争いをせずに組んでから柔道をはじめることで、いろいろ見えてくるものがあると思うんですね。IJFの柔道があって、講道館柔道があって、それと並んで「KUNDE柔道」があれば面白いかなと思うんです。また今後、後進の育成についても次の後輩を育てていければと思っています。柔道は競技として楽しいのでやっていきたいんですが、自分の中での優先度も考えて活動していきたいです。
半谷選手
私は2年後のアジア大会を目標に活動しています。また、もっと自分の体に向き合ったトレーニングを重ねて自分自身を磨き上げたいですね。
最後に、柔道の魅力を教えてください
瀬戸選手
子供たちに対しては、投げていることを魅せること。そして、それが自分もできるということをイメージさせてあげることが大事だと思っています。親御さんに対しては、柔道の礼儀作法は魅力があるんだと説明したいですね。
半谷選手
見える子には投げる感覚は魅力的だと思うし、見えない子には「畳の上は自由だよ」と教えてあげたいですね。普段の生活の方がよっぽど危険で、ルールに守られている畳の上の方が安全という面もあります。私の柔道は「開放感」がテーマなんです。「畳の上の平等」って言葉があるんですが、わたしのイメージは自由って感じですね。
令和6年10月22日 茨城県知事表敬訪問時の様子
瀬戸勇次郎
2000年生まれ、福岡県糸島市出身。九星飲料工業に所属し筑波大学柔道部で練習に励む。現在はJ2/73kg級で活躍。2017年全日本視覚障がい者柔道大会66kg級で3位入賞を皮切りに、2021東京パラリンピック男子66kg級で銅メダルを獲得。2024年パリパラオリンピックでは男子73kg級で金メダルを獲得している。
半谷静香
1988年生まれ、福島県いわき市出身。トヨタループスに所属しひたちなか市の舞鶴柔道クラブで練習に励む。現在はJ1/48kg級で活躍。ロンドンパラリンピックでは同階級7位、続くリオパラリンピックでは階級を48kg級に変更し5位に、東京では同階級5位に入り、パリでは念願の銅メダルを手にした。