JOCジュニアオリンピックカップ(U20)レスリング2連覇!4年後のロサンゼルスを目指して —— レスリンググレコローマンスタイル72キロ級・菊田創選手インタビュー
1896年に開催された第1回アテネオリンピックから実施されている数少ない競技のひとつ、レスリング。その歴史は5000年以上前、シュメール人の時代まで遡ります。古代エジプトの壁画にも描かれ、古代オリンピックでも争われてきたといわれています。
レスリングには大きく分けて「グレコローマン」と「フリースタイル」という2つの競技形式があります。フリースタイルは文字通り、ルールや制約における自由度が高く、相手のどこに触ってもOKで、身体全体を使って技を繰り出すことができるのが特徴です。一方、グレコローマンスタイルは、相手の腰から下を掴んだり攻撃することが禁止されています。制約があることにより、上半身のみで闘い、美しいダイナミックな投げ技が多く繰り出されるのが見どころです。
そのグレコローマンスタイルで、JOCジュニアオリンピックカップ(U20)レスリングを連覇した菊田創選手にお話をうかがいました。
菊田創選手(青山学院大学)
土浦から世界へ挑戦する次世代レスラー
レスリングとの出会いを教えてください。
菊田選手
小さい頃は体が弱く、健康のためにと最初は柔道をはじめました。それから、一緒に柔道をやっていた姉が吉田沙保里選手らに憧れてレスリングをはじめたのがきっかけです。姉についていくように霞ヶ浦高校レスリング部のジュニアチームに加入しました。その当時は小学生だった自分を、とてもよくかわいがってくれた高校生の先輩たちがとてもかっこ良く見えたのを覚えています。土浦ではクラブチームが少なくて、選択肢として霞ヶ浦高校しかなかったんですが、環境を変えるために、その後は水戸クラブに移籍。高校は名門の埼玉栄高校へ進学し、現在の青山学院大学レスリング部へと進学しました。
柔道からレスリングへの転向はいかがでしたか。
菊田選手
柔道とは違い、いきなり足を取りに行くレスリングをはじめた当初は抵抗がありましたが、どちらも別々の競技と考えて、中学生まではレスリングと柔道を一緒に楽しんでいました。高校進学を機に、レスリングに集中すると決めました。これからレスリングをはじめたいと思うなら、小さい頃はいろんな格闘技をやっておくといいと思います。自分がそうだったように、特に柔軟性を身につけたり、相撲の四股や柔道などではしっかり体幹を作ることができると思います。
他にもレスリングをはじめた頃の思い出等はありますか?
菊田選手
小さいときは心臓が大きくて極度の貧血だったんですが、母は自分が動き回っているところを見て喜んでくれました。それこそ転ぶ様子を見ても笑顔で見守ってくれました。女の子並みの血液の数値とお医者さんにいわれたこともあるんですが、それでも柔道やレスリングを習わせてくれ、見守り続けてくれた母がいたから今の自分があると思います。
大好きな地元・土浦について。
菊田選手
自分はいまでも土浦の自宅から青山学院大学へ通っています。東京や世界選手権から土浦に帰ってくると、「ここが俺の居場所だ!」って思うんですよね。安心感があって本当にこの街が好きですね。子供のころは練習帰りに駄菓子屋さんに寄るのが楽しみだったことも懐かしい思い出です。子供のころは体が弱くて何もできない子だったんですが、とにかく動き回るのが好きで基地を作って友達と遊びまわったりもしました(笑)。
ジュニアオリンピック2連覇への道のり
レスリングでも、フリースタイルからグレコローマンへ転向されました。
菊田選手
中学生まではフリースタイルで闘っていたんですが、高校2年生まではグレコローマンはつまらなそうだと勝手に思い込んでいました。ただ、高校2年生のときに1984年ロサンゼルスオリンピックのグレコローマンスタイルで金メダルを獲得した宮原厚次さんに出会い、「お前はグレコやれ‼」といわれてやってみたのがきっかけでした。もともと投げ技が好きだったこともあり、自分のスタイルに非常にあっていました。最初は足をとりにいってしまったりということもありましたが、制限された中で試合を組み立てていく楽しさを知りました。
自分のレスリングスタイルは?
菊田選手
柔道をやっていた頃から投げ技が得意でした。柔軟性が高いという自分の特徴を活かした投げ技が自分の持ち味です。グレコローマンの花形はやっぱり投げ技なので、誰が見ても凄いと思ってもらえるような投げ技を決めることにこだわっています。もちろん、そのためには上半身の筋力だけではなく、下半身はもちろん、強い体幹を作ることも自分の理想のレスリングスタイルには欠かせないポイントだと思っています。
それから、礼儀には気を使っています。母も褒めてくれるんですが、すべての人に同じように挨拶をすること。そういった部分も私生活でも大切にしています。
試合にはどのように向き合っていますか?
菊田選手
自分は負けちゃだめだとは思っていないんです。よく意外と言われるんですが、負けたって死ぬわけじゃない。だったらレスリングを、試合をとことん楽しみたいと思って闘っています。だから、試合中にニヤニヤしてしまうこともあるんです。レスリングはスポーツだし、娯楽のひとつだと思っています。だから「勝てたらいいなぁ」と思いながらリングに上がっています。追いかける立場から追われる立場になって強いプレッシャーを感じることもあるんですが、それでもレスリングを楽しみたいと思っています。
今後の展望について
現在の課題についてはどのようにお考えですか?
菊田選手
今回のジュニアオリンピックは青山学院大学に入学するきっかけにもなった大会だったので、そこで2連覇できたことは特別な思いがあります。ただ、レスリングは経験値が非常に強く影響するスポーツです。まだまだ、シニアの選手たちには勝てていません。そんな選手に追いつき、追い越すことがいまの課題だと思っています。そのためには試合の中での構成や組み立てをもっとしっかりできるようにならなくてはいけないと思います。また、自分は食べたら食べた分だけ太ってしまうので減量がきついんですが、筋肉をしっかりつけながらも、減量との戦いになっています。
ロサンゼルスオリンピックを目指して、感じていることはありますか?
菊田選手
いま師事している元オリンピック選手で青山学院大学レスリング部の長谷川恒平監督にまだ一度も勝てたことがないんです。まだまだ経験値も足りないし、筋力も足りていないんだと思います。
試合では、最初の第1ピリオドの3分間は誰にも負ける気がしないんですが、第2ピリオドの3分に入るといきなり電池が切れたみたいに動けなくなってしまうことがあります。周囲からはウルトラマンみたいだといわれているんです。フィジカルの部分がまだまだ足りないのが原因で、体力面の強化が必要だと思っています。6分間戦えるウルトラマンにならないといけないと思って頑張っています。
茨城県でレスリングをやっているキッズたちにメッセージをお願いします。
菊田選手
自分は、レスリングはフリースタイルだと勝手に決めつけていました。でも、レスリングにはいろいろな可能性があるということを知って欲しいですね。グレコローマンに移ることで自分のように輝ける子もいると思うんですよね。その可能性を知らないで終えてしまうのはとてももったいないと思います。また、のちにMMA(総合格闘技)に転向するレスリング選手も数多くいます。レスリングをやっていない子も、そんな憧れからレスリングをはじめてみるのもいいかもしれませんね。
令和6年6月19日 茨城県知事表敬訪問時の様子
菊田創
2004年生まれ、茨城県土浦市出身、水戸クラブ出身で高校は名門・埼玉栄高校へ進学。現在は青山学院大学レスリング部に所属しロサンゼルスオリンピックを目指して活躍中。グレコ―ローマンスタイル72㎏級で2023・2024年JOCジュニアオリンピックカップ(U20)を2連覇し、2023年は上級生も参戦する全日本学生選手権で5位。シニア選手も出場する2023年全日本選手権(男子グレコローマン)でも12位に入るなど若手選手の注目株として期待を集めている。